吟詠静凰流憲章


前 文
吟道は詩を吟じ、歌を詠じ、おのれの品性をみがいていく芸道である。その本質とするところは礼節心の高揚であり、目的とするところは、心身の健康であり、相互の親睦であり、繁栄と平和である。
古人の多くは斯道に親しみ、おのれの心をうたい、時にわが身を鼓舞し、時に慰撫し、人生の糧とすると同時に、これを伝統芸術として育てあげた。斯道が日本民族の歴史の中で果たした功績はきわめて大きく、これからの時代の流れの中で果たす役割もまた計り知れない。
幼くして、この伝統芸術を学んだ私は、成長して人生の何たるかを知るに従い、ますます斯道の深遠な魅力にこきつけられ、研鑽をつんだ。高雅にして典雅な斯道の価値をさらに高めるため、作調に純粋邦楽の理論を応用するなど、新しい工夫も加えた。いわゆる笹川吟法である。私はこの吟法をもって、斯道の芸術的向上と普及振興を思いたち、このほど「吟詠静凰流」を創始する意を固めた。
「人生は日々新たなり」という。芸道もまた同じである。常に向上進歩がなければならない。音楽文化音楽教育が進んだ今日、吟詠芸術が志向すべき道は、まず音楽性の向上である。音程、発音、呼吸、吟調などすべて音楽理論にあった吟詠法を工夫し、吟詠の今日像を確立しなければならない。日々の研鑽と努力によってこれを実践し、吟詠に対する各界の評価を高め、一般の大衆にもこの芸術吟詠を普及し国民芸術として高めていくことが、わが流の使命である。
この使命の達成こそ、精神文化の高揚という吟道の究極の目的を実現する最も近道であると確信する。
重複するが、吟詠の本質は礼と節にある。礼節あるところには和が生まれ、愛が生まれ、信頼感が生まれる。日ごろの研鑽と指導は、吟の心そのままに同志の相互信頼と和気あいあいの中で実践されなければならない。同志が一つ心になれば、おのずから美しい花が咲き、果実もそれだけ大きくなる。その心に期待してこの憲章を定める。
昭和三十九年(西暦一九六四年)十月一日

吟詠静凰流宗家  笹川 鎮江

創流宗家  笹川 鎮江 プロフィール


笹川鎮江_写真

笹 川 鎮 江 (本名=笹川静江)

ささかわ しずえ
吟詠静凰流 創流宗家
 
吟詠家、筑前琵琶奏者
吟詠雅号=笹川鎮江(ササカワ シズエ)
琵琶雅号=笹川旭凰(ササカワ キョッコウ)
吟詠静凰流初代宗家(=創流宗家)
吟詠静凰流鳳凰会主宰
財団法人日本吟剣詩舞振興会会長
 
大正12年10月6日生
平成15年3月16日(2003年)没

出生地

東京市麹町区(東京都千代田区)
 

学 歴

東京府立高等家政女学校卒業(昭和15年3月)
 

経 歴

5歳で筑前琵琶の加納旭都に師事(昭和3年3月)
6歳で琵琶『扇の的』で初舞台を踏む(昭和4年1月)
8歳で筑前琵琶の女王豊田旭穣に師事。(昭和6年6月)
8歳で筑前琵琶の雅号「旭凰」を認許。(昭和6年12月)
9歳で筑前琵琶の教授免許を取得。(昭和7年10月)
昭和7年11月、NHKラジオから琵琶「湖水渡り」を初放送。
昭和11年、吟詠界の第一人者日本詩吟学院宗範木村岳風に師事。
昭和13年1月、NHK放送出演資格審査コンクールで初回合格。
昭和15年3月、東京府立高等家政女学校卒業後は各地の吟詠大会に積極的に参加するようになるとともに、レコード吹込み、ラジオ、テレビ放送出演等を通じて、国内外で広く活動する。
昭和39年10月、従来、口伝による吟詠曲を洋楽譜と対照できる吟詠譜化を試みた新しい朗詠法である静凰流吟法(笹川吟法) を編み出して吟詠静凰流を創流、同総本部を創設し、宗家総本部会長並びに吟詠静凰流鳳凰会主宰となる。
昭和43年10月、財団法人日本吟剣詩舞振興会(会長笹川良一) の設立に参画、常任理事、副会長を経て会長を務める。

受賞歴

平成元年11月、吟詠静凰流宗家としての吟詠精励並びに財団法人日本吟剣詩舞振興会会長としての吟詠、剣詩舞の発展に尽くした功績により紫綬褒章受章の栄に浴すとともに、平成8年11月には勲三等瑞宝章受章の栄に浴している。

三代目宗家  矢萩 鳳祥 プロフィール


矢萩 鳳祥

やはぎ ほうしょう
 

吟詠静凰流 三代目宗家 総本部会長
ぎんえいせいこうりゅう
吟詠静凰流 鳳祥会 会長
ぎんえいせいこうりゅう ほうしょうかい
 

吟詠静凰流三代目宗家 総本部会長
吟詠静凰流鳳祥会 会長
公益財団法人日本吟剣詩舞振興会 顧問
同・東日本地区連絡協議会 特別顧問
同・公認東京都吟剣詩舞道総連盟 特別顧問
都総連公認・港区吟剣詩舞道連盟 常任顧問
虎ノ門いきいきプラザ初心者向け詩吟教室講師(東京都港区)
吟詠静凰流総本部研究会及び師範会指導講師

生年月日

昭和18年12月17日生
 

出 身

東京都北区(岸町)
 

学 歴

東京都立紅葉川高等学校商業科(定時制)卒業(昭和38年3月)
 

芸 歴

昭和43年  4月、吟詠静凰流入門(笹川鎮江創流宗家師事)。  
※笹川鎮江師は、吟詠静凰流創流宗家としての吟詠精励並びに財団法人日本吟剣詩舞振興会会長としての吟詠、剣詩舞の発展に尽くした功績により紫綬褒章受章(平成元年11月)並びに勲三等瑞宝章受章(平成8年11月)の栄に浴している。平成15年 3月16日逝去。
昭和50年  1月、吟詠静凰流師範認許(号・鳳祥)。
昭和62年  1月、吟詠静凰流鳳祥会会長就任。
平成28年10月、吟詠静凰流三代目宗家就任。
平成29年12月、特許庁へ申請していた『吟詠静凰流』の商標登録が完了し、商標権者となる。
 

職 歴

昭和39年10月、財団法人日本船舶振興会(笹川良一会長、平成元年に「日本財団に改称」)入社。
昭和62年  3月、財団法人日本船舶振興会退職。
昭和62年  4月、財団法人日本吟剣詩舞振興会入社。
平成  5年  6月、財団法人日本吟剣詩舞振興会理事就任、
平成25年  4月、同公益財団法人移行認定、理事就任。
平成25年  6月、(公財)日本吟剣詩舞振興会専務理事就任。
平成26年  6月、(公財)日本吟剣詩舞振興会専務理事退職。
平成27年  6月、(公財)日本吟剣詩舞振興会顧問就任。
平成27年  6月、同東日本地区連絡協議会特別顧問就任。
平成27年  6月、東京都吟剣詩舞道総連盟特別顧問就任。
平成27年  6月、同公認港区吟剣詩舞道連盟常任顧問就任。
 

活 動 

昭和47年  4月
第二回笹川鎮江リサイタル出演(於、日生劇場)に剣舞「大楠公」の吟者として出演。剣舞は多田正満、多田正稔兄弟の両先生、吟詠は林鳳俊会長(吟詠静凰流二代目宗家)、大森江龍師範代と連吟する。
 
昭和53年  1月
NНKラジオFM放送「朗読」の時間に1月4日から7日の四回にわたって「百人一首」の朗詠で出演。百首は鈴木吟亮、工藤龍堂、吉見芳蘭の各先生との共演で出演、内、32首の朗詠を担当する。
 
昭和56年12月
日本音楽教育センター(ユーキャン)の現代詩吟添削講座(主任講師笹川鎮江創流宗家)のテープ添削指導を講師代行として担当。22年間、延べ三千名の添削指導を行う。平成15年8月、笹川鎮江創流宗家の他界に伴い現代詩吟添削講座終了する。
 
昭和57年10月
フジテレビ お昼のワイド番組・森田一義アワー「タモリの笑っていいとも」(全国22局ネット放映)に出演。番組では「斉藤清六のシングルデスマッチ」の相手役として清六さんに詩吟を指導するも苦戦する。
 
平成30年11月
(公財)日本吟剣詩舞振興会の創立50周年記念第50回全国吟剣詩舞道大会(於、日本武道館)の企画構成番組「日本吟剣詩舞振興会50周年記念構成番組」の脚本を執筆する。
 
令和元年5月
(公財)日本吟剣詩舞振興会主催の新元号を祝う吟剣詩舞ウィーク『吟剣詩舞道祭り』(5月1日~5日、於、笹川記念会館・国際ホール)の温故知新「名流吟詠」の取りで「乃木将軍を挽す」(杉浦重剛作)を吟詠する。

「吟詠静凰流」商標権について


「吟詠静凰流」の商標(名称)については、下記商標権登録がなされており。その権利は三代目宗家 矢萩 鳳祥が有するものであり。使用にあったって許可なく使用してはならない。

 吟詠静凰流について